今般、当事務所で介護施設利用者側として取り扱った施設での誤嚥事故の事案について訴え提起により損害の賠償を求めることができましたので紹介します。
1、事案の概要(誤嚥事故の発生)
Aさん(当時70代後半・男性)は、飲み込み等に障害があり、家族の介護を受け、リハビリ施設に通所するなどしながら、自宅で生活をしていましたが、介護老人保健施設に2泊3日のショートステイで入所することになりました。家族は、入所する1週間程前に施設の職員に、Aさんは食べ物を噛み切る力や飲み込む力が弱っていて誤嚥を起こしやすいため、主食は米飯おにぎりであり、10分割の一口大に小さくして提供してほしいと要望し、それを受けて、食事箋にもその旨記載されました。
そして、Aさんは施設にショートステイで入所し、1日目の食事では、家族の要請通り一口大に切った食べ物がAさんに提供され、Aさんは問題なく食事をしました。
ところが、2日目の朝食の際、ロールパン(6~7㎝のもの)が出されたのですが、これは小さくちぎっていないそのままの状態で出されました。
朝食時間が開始して15~20分後に、Aさんが鼻から牛乳を出してむせているところを職員が発見し、Aさんはそこで食事を中止してその後20分程度しばらく食堂の席に座ったままでいました。その後、Aさんは、職員に付き添われて席を立ちトイレに行くなどした後、自分の部屋へ戻りました。
その後、Aさんは、部屋の中でチアノーゼ状態、心肺停止状態になっているところを発見されました。
そして、処置がなされ、Aさんの喉からは5㎝程の大きさのパンが取り出され、施設に隣接する病院にすぐに搬送されましたが、Aさんは低酸素脳症に陥り、意思疎通のできない状態となってしまいました(自賠法施行令別表第1の第1級1号相当の後遺障害)。
2、相談から事件処理
この誤嚥事故後、Aさんの家族が当事務所に相談に来られました。
当事務所では、施設に対し、損害賠償請求ができるか否か判断するため、施設の介護記録を証拠保全により入手することにし、裁判所に証拠保全の申立をしました。そうしたところ、裁判所により証拠保全が実施され、当事務所で施設と病院のAさんに関する介護記録、診療録を入手しました。
これらの記録をもとに、この誤嚥事故はどのような医学的機序で発生したのか、また、施設に過失責任があるか否かを十分検討した結果、施設には責任があったものと考えられたことから、施設に対して慰謝料等の損害賠償請求をすることにしました。
当初は、施設に対して、示談交渉による解決を図れないか申し入れましたが、施設は、責任はないと主張しこれに応じなかったことから、やむなく訴訟を提起することにし、鹿児島地方裁判所に訴えを提起しました。
3、争点
この訴訟での争点は、第1に、窒息の原因ですが、当方は、Aさんは提供されたロールパンを飲み込み、喉に詰まらせて窒息し、心肺停止状態に陥り、低酸素脳症に至ったと主張しました。これに対し、施設側は、食事が終わった後の「むせ返し」等の身体の動きにより、消化器官に残っていたパンの塊が気道入口に移動して閉塞したためであると考えられると主張しました。
第2に、過失について、当方は、Aさんは誤嚥を起こしやすいため、食事の提供にあたっては、10分割のおにぎりにして欲しいと要望していたのであるから、その要望に従い、おにぎりをその方法で提供すべき義務があり、また、ロールパンで代用する場合には、Aさんのパンの摂食状態や誤嚥の有無等の安全性を事前に確認し、おにぎりの代用として提供することができるかどうか、その方法についても一口大に分割して提供する必要があるかどうか検討すべき義務があったと主張しました。
これに対し、施設側は、入所前に家族から聴取した結果、誤嚥のリスクは低いと判断し、一般食を提供することとし、また、食物を小さくしさえすれば誤嚥を完全に防止することができるものでもなく、ロールパンの提供に過失はないと主張しました。
更に、「むせ返し」等の身体の動きは、生理的な反応であり、これによる食物の逆流も生じうるが、この反応により気道閉塞が生じたとしても避けがたいことであり、予測することは不可能であり、過失はなかったと主張しました。また、仮にロールパンをちぎって提供したとしても、これを複数口にすればパンの塊が形成される可能性があることからすれば、ロールパンをそのまま提供したから塊が形成されたとはいえず、因果関係があるとはいえないと主張しました。
4、裁判所の判断
鹿児島地方裁判所は、証拠保全で入手した介護記録と診療録、当方が提出した私的鑑定書(当方の依頼ではあるが、第三者的立場から専門家として客観的に本件低酸素脳症に至った原因、医学的な機序、そして施設、医師としてなすべき事柄について記載してもらった意見書)等をもとに、まず、窒息の原因については、朝食の食事中に誤嚥を生じ、不完全な気道閉塞の状態であったところ、看護師の吸引により誤嚥物の一部が除去され、SpO2の軽度の改善がみられたものの、その後、パンの塊が移動して気道をほぼ完全に閉塞し、窒息が生じたと認定しました。
施設側が主張した「むせ返し」については、咽頭と食道との境界部の幅は約15mmであり、大量の嘔吐物とともに排出された場合を除き、約5cmのパンの塊が食道を逆流してくることは考えられないところ、Aさんが大量の嘔吐をした事実はなかったこと、また、むせが生じた後、喉から「ゴロゴロ」との音が鳴り、SpO2が低下していたなど、不完全な気道の閉塞がされたことによる症状がみられたことに照らすと、食道内からの逆流が生じ、これにより気道が閉塞された可能性は考え難いと、施設側の主張を否定しました。
また、過失については、施設は、誤嚥のリスクがあることを認識していたのであるから、飲み込みやすい食物を選択して提供し、パンを提供することにしても、小さくちぎったものを提供するべき義務があったところ、これに反し、ロールパンをそのまま提供し、これにより、その塊が気道を閉塞して窒息を生じたのであるから、本件事故の発生について責任があると判断しました。
その結果、鹿児島地方裁判所は、ほぼ当方の主張と請求を認める判決を出しました。
しかし、その後、施設側はこれを不服として、福岡高等裁判所宮崎支部(控訴審)に控訴をしました。
控訴審においては、施設側は、鹿児島地方裁判所において全く主張していなかった事実を主張し始めたり、客観証拠に明らかに反することを主張したりして、それに沿う専門家の意見書を提出して争いました。当方においてはこれに対して、介護記録などの客観証拠にもとづいて徹底的に反論し、追加で協力医の先生に鑑定意見書を作成していただくなどして対応しました。
その結果、裁判所から、鹿児島地方裁判所の判決を踏まえた適正な内容の和解が双方に勧告され、これを双方とも受諾し、この訴訟は和解により終了しました。その後、施設側から和解金額全額が支払われました。
5、本件事故から得られた教訓
本件の事案に関しては、上記のとおり、Aさんの家族は、Aさんに出す食事は一口大に切って出して欲しいと入所前に要請しており、そのことは施設の記録にもきちんと記載され、しかも施設の記録中複数の書面にそのことが記載されていましたので、職員間で一応の申し送りはなされていたのだと思います。ところが、本件の朝食時にロールパンが小さくちぎられることなくそのままの形で出されたことによって誠に残念なことに不幸な誤嚥事故が発生しました。このことからすれば、食べ物を小さく切って出してほしいとお願いしても、施設の不手際で誤嚥事故が発生することがあり得るということになります。
しかしながら、家族側としては、やはりそのことをきちんと事前に施設に申し入れしておく必要があります。本件については、家族が申し入れをしてそのことが記録されていたことにより勝訴に至ったということがいえますが、家族側としては誤嚥事故が起こらないよう繰り返し施設に対して申し入れをすることが肝要であると痛感します。
また、施設側は、家族から申し入れがあった時は、入所者については飲み込み(嚥下)の不自由な方については、ご飯や餅だけでなくパンを提供する場合も、面倒がらずに小さくちぎって提供するということに意を用いるべきであり、また、現場の食事の担当の職員の間で「誰々については食べ物を小さくちぎって提供すること」との旨を食堂の掲示板に掲げるなどして申し送りがきちんとなされるように十分注意して欲しいものです。そのことが不幸な誤嚥事故を防ぐ一番のポイントではないかと思います。そして、施設や医療機関の運営者としても、食事介助の現場においてそのような配慮をする体制をきちんととるようにすべきであるというのが今回の事故の一番の教訓だと考えるところです。